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モーツアルトとパリ

イスタンブールのことを書こうと思っていたのですが、今日は毎月1回のパリ散策ツアーだったので、忘れないうちに書いておきます。

神童だったモーツアルト、6歳の時にパリに演奏旅行に来て大成功を博しました。その後、21歳の時に再び来仏。ところが、天才的な子供には賞賛を惜しまなかったパリの聴衆は青年モーツアルトには冷たい反応を示しました。モーツアルトの音楽が当時の聴衆には先進的すぎたのでしょうか。

母とふたりでパリに来ていたモーツアルトですが、お金がなく、安いホテルに泊まっていました。そのホテルがあったのがこの通りです。

上の標識が今の通りの名前、下の建物の壁に彫られているのがその当時の名前です。そして、ここがホテルがあった場所です。
mozart2.jpg


1778年7月3日、モーツアルトのお母さんはここで亡くなってしまいます。記念の碑が建物の壁に掲げられています。破傷風だったと言われています。当時のパリは衛生的な都市ではありませんでした。飲み水はセーヌ川からとられました。モーツアルトのお母さんは怖がってそれを3回沸騰させて飲んでいたそうです。それほど注意していても病気になってしまったのですねぇ。

葬儀はSt. Eustache教会でおこなわれましたが、記録にはモーツアルトとその友人1人のサインしかありません。寂しい葬儀だったようです。この教会には記念の碑が壁に残されています。お墓はどこだったのかはっきりしないのですが、教会の近くに共同墓地があったので、たぶんそこだったのだろうと言われています。この噴水のある広場がその場所です。
mozart4.jpg


ここで、前回に引き続きキモチワルイお話を。興味のある方は続きでどうぞ~。
この共同墓地の回りにパン屋が一軒ありました。持ち主が地下室を拡張しようとして壁を壊すと、骨がぞろぞろ出てきました。この持ち主、キモチワルイ~と思わず、ラッキ~と思ったのです。その骨を燃料にしてパンを焼いていました。ところがそれが王の耳にも届いて、パリの市内から墓地を撤収することに。それ以来墓地はパリの外に作られることになったそうです。パリの町ってこういう話に事欠きませんねぇ。

さて、モーツアルトですが、職を探して回っても、はかばかしくありません。演奏会を開いても集まるのは60人から100人程度だったそうです。下の建物は有名なピアノ製作所の持ち主の持ち物だったそうで、この建物のどれかで演奏会を開いたことがあったそうです。
mozart3.jpg



最後は6歳の時にモーツアルト一家が滞在していた場所です。
mozart5.jpg


マレ地区、68 Rue de François-Miron、バイエルン大使ヴァン・アイク伯爵の館でした。21歳に泊まった安宿と比べてみてください。結局モーツアルトは世話をしてくれていたグリムにも見放され、パリを去りました。

Comment

v-22emiさん、こんにちは~

emiさんには特にちょっとエグイ話でしたねぇ。すみません!
お仕事中に思い出さないようにしてくださいね~。

 芸術家って大変ですね、芽が出るまで。

 しかし、骨でパンを焼いたって・・・怖いですよ。想像しないようにします。


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